【店長のNIWAKA宣言】ユベントス90’s ~哀すべきライバル、インテルナツィオナーレ~



今回は執筆チームから「タカオ店長」の投稿となります。カルチョと共に生きたタカオ店長ならではの視点の記事になります。ぜひ、昔を思い出しながらお楽しみ下さい!

 


ユベントス90’s ~哀すべきライバル、インテルナツィオナーレ~

セリエAが世界最強リーグと呼ばれていた1990年代。ユーベとそれを取り巻くライバルたちについて振り返るシリーズ第3弾。ミランと並んでユベントスにとっての永遠のライバルでありナショナルダービーの相手であるインテルについて。

 

Part3. THE 多国籍軍団インテルミラノ

はい、お久しぶりです。インテルです。それも1960年代や、2000年代の黄金期じゃないんです。1990年代なんです。迷走を繰り返していたあの頃のインテルなんです。これは書きづらい。でも書かないと前に進めない…。というわけで筆が進まないというかどう書いていいのか…。

しかも、月ユベに載せてもらう前提で書いてるので、インテリスタの目に触れる可能性を考えると怖くてなかなか書けません。前回ミラニスタには好意的に受け止めていただけましたけど、インテルとのライバル関係って正直ミラン以上だと思うので。先にお断りしておきますけど、私、別にインテルのこと嫌いでもないし敵視もしておりませんので。

 

 

1990代前半のインテル

はい、かなりざっくり”前半”という括りです。何故なら、ほとんど試合を観たことがないから…。写真とか記事での記憶しかないんですけど、90年代前半のインテルと言ったら、マテウス、ブレーメ、そしてクリンスマンのドイツ人トリオですね。ミランがオランダならインテルはドイツだと。そんな単純な事情ではないと思いますけど。(そもそもインテルのトリオの方が先だし)

 

しかも1990年当初の監督は、ユーベの黄金時代を築いたトラパットーニなんですね。リッピとかコンテとか、ユーベの監督を辞めた後インテルでユーベと戦うというのは伝統なんでしょうか?
そしてそのトラパットーニ監督の元、90-91シーズンのUEFAカップで優勝しています。ベルゴミ、渋かったなあ。そこはなんか覚えてる。

 

そしてトラパットーニ&ドイツ人トリオ後のインテルといえば、デニス・ベルカンプですね。ただ、あまりイタリアに馴染めなかったようで2シーズンのみの在籍でしたがやはり93-94のUEFAカップを獲得しています。
ベルカンプ、いましたねえ。そういえば。アーセナルのイメージが強すぎてインテルのイメージ全然ないですけど。

 

 

モラッティ時代の始まり

はい、インテルと言ったら未だにモラッティ会長のイメージなんですよね。良くも悪くも。そしてボスマン判決の影響もありこの名物会長の元、クラブ名そのままの多国籍軍団化していきます。

そしてその元祖といえば、レジェンド中のレジェンド、ハビエル・サネッティですね。95年に加入してから2014年の引退まで20年在籍。インテルのキャプテンといえばサネッティですね。今と顔がほぼ変わっていないのも恐ろしいところです。

 

今やアトレティコの監督として名将になっちゃったシメオネもいました。ラツィオのイメージのほうが強いですけど、ズルかったですね、汚かったですね、悪かったですね…。インテルにこの手のMFがいるのは嫌らしかった…。

 

ジダンとのコンビでフランス代表のワールドカップ初優勝に貢献した渋めのファンタジスタ、ジョルカエフ。巧かったですね、ジョルカエフ。でもなんだか華がないというか。ジダンと同時代じゃなければ…

 

ZaSaコンビで90年代のチリ代表をグイグイ強豪に引き上げたサモラーノ。レアルマドリーでスペイン得点王を獲得後インテルへ。この事実だけでも当時のリーガとセリエAの序列が今と真逆なことがわかります。ヘリコプターと異名を取るヘディングの強さでインテルでも活躍しましたね。背番号9への愛着が強く、バッジョ加入に伴いロナウドに9を譲ることに。新背番号の18を1+8とかしちゃってね、翼くんか!なんて思ったもんです。コジャレてました。

 

ナイジェリア代表のセンターバック、タリボ・ウェスト。髪型がスゴかった。速くて強いいい選手ですけど、監督にユニフォーム投げつけてミランに移籍するというなかなかの問題児ですね。

 

ヌワンコ・カヌ。アヤックスで大活躍してインテルに引き抜かれ、アトランタオリンピックでナイジェリア代表を金メダルに導きましたね。が、その直後に心臓疾患が見つかり長期のリハビリ生活に。残念ながらインテルではあまり活躍中できませんでしたね。その後アーセナルで復活を果たしてよかったよかったと思わせました。

 

ロベルト・カルロスの欧州初移籍もインテルでした。開幕戦でいきなりフリーキックぶち込んでましたね。あれは今でも覚えてます。最近のインタビューで答えてましたけど、本人としてはサイドバックでやりたいのに、当時のインテルではウィングバックでの起用だったのが嫌だったらしいですね。わずか一年でレアル・マドリーへ引き抜かれ、その後の銀河系軍団での活躍は誰もが知るところ。もったいなかったですね…

 

アルバロ・レコバ。左足の魔術師。天才というかロマンの塊みたいな選手でしたね。出番はそんなに多くないんだけど、出てきたときのインパクトが半端ない。観てて楽しい。本人もたのしいんだろうな、って感じのプレースタイルでしたね。

 

そしてなんと言っても『フェノメノ』ロナウドですね。インテル時代のロナウドはとにかくスゴかった!速い!速い!速い!そして上手い。まさに怪物でしたね。

 

 

と、この多士済々ぶり。『インテルナツィオナーレ』というだけあって外国籍選手を拾っていっただけでも豪華ですね。そしてこの豪華さがイコールチーム力にならないのがインテルの悩み…。

この1990年代というと、スクテッドはユーベとミランでほぼ独占、インテルは浮き沈みも激しく一度も手にしていません。そして毎年のように繰り返される監督解任劇と新外国籍選手の乱獲によってインテルにとっては低迷期だったというイメージが強いんですけど、UEFAカップは10年間で3回も優勝してるんですよね。このあとに来る黄金時代への助走期間、といったところだったんですかね。お家騒動の多さといいどこかイタリアの阪神タイガース、というイメージを個人的には持っています。

 

 

(了)

 


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