【店長のNIWAKA宣言】ユベントス´90s ~グランデ・ミラン~



今回は執筆チームから「タカオ店長」の投稿となります。軽いタッチながらも中身はぎっしりぎゅうぎゅうで、読み応え抜群。お楽しみ下さい。

 


ユベントス´90s

 

セリエAが世界最強リーグと呼ばれていた1990年代。ユーベとそれを取り巻くライバルたちについて振り返るシリーズ第2弾。今回は永遠のライバルにして、当時黄金時代の真っ只中。かつての世界最強クラブACミランについて、お届けしたいと思います。

 


 

Part2. グランデ・ミラン

はい、ミランです。みなさんどうですか?ミラン。これを読んでる大多数のユベンティーニは嫌いなんでしょうね。筆者は、実は好きです。好きというとちょっと語弊がありますけど、ライバルとして欠かせない存在であると認識してます。何と言ってもですね、四十路の筆者がサッカー観始めた頃はとにかく強かった。とんでもないクラブでしたよ。誰も勝てない、敵わない。今の若い人にそこのところをなんとかお伝えして、ミランに対するライバル心を磨いていただけたらな、と思います。

 

 

サッキの4-4-2とオランダトリオ

まず1990年代が幕を開けたとき、ミランは既に黄金時代に突入していました。87-88シーズンに就任したアリーゴ・サッキの導入した4-4-2のゾーンプレスサッカーは、今も脈々と続くようにこの後、30年に渡って‘’サッカーという競技のベーシックな戦術‘’といえるまで昇華されました。

誰でも知ってる4-4-2のスリーラインをコンパクトに保って、ハイラインで相手を押し込むサッカー。その元祖といえるチームですね。そしてこのシーズンに加入したフリットとファンバステン、更に次のシーズンに加入したライカールトの3人「オランダトリオ」がミランの顔となります。なお、1988年のEUROでもこのトリオの活躍でオランダは初優勝していますね。

 

ちなみに筆者が初めて生で海外サッカーを観戦したのも、トヨタカップのミラン(1990年のオリンピア戦)でした。3-0でミランの圧勝だったんですが、目の前で観たフリットの跨ぎフェイントのキレはいまだに目に焼きついてます。

 

トヨタカップという話が出ましたが、ミランは88-89と89-90のチャンピオンズカップを連覇。そして続くトヨタカップも連覇してるんですね。サッキのミラン、強烈でした。

 

 

サッキからカペッロへ。プレッシングサッカーとターンオーバーの完成

続く91-92シーズンから、ユベンティーニにもお馴染みのファビオ・カペッロが監督に就任すると、いきなりセリエAを無敗で優勝し、そのまま3連覇ととんでもない強さを発揮。当時試合を観られたわけではないので、サッカーマガジンなんかで読んだ記憶だと思いますけど、「サッキの完成させたサッカーにカペッロの厳しいチームマネジメント、ターンオーバーが定着して余計隙のない強さが完成した」、そんな風に紹介されていた事を覚えています。(嫌気が差したフリットはサンプドリアに出ていっちゃったけど)

CLでも3年連続決勝進出するのですが、ハイライトは何と言っても93-94の決勝。当時ドリームチームと呼ばれたクライフ監督率いるバルセロナをまったく寄せ付けず4-0の圧勝。しかもキャプテンのバレージとコスタクルタのレギュラーセンターバックコンビを欠いて、です。

 

フランコ・バレージも思い出深い選手ですね。ミラン、そしてアッズーリの絶対的なキャプテン。リベロというポジションを確立させたのはこの人です。当時スイーパーをやってた筆者も憧れてたスタイルであります。

このように、90年代前半はまさにミランの時代でした。「ミランにあらずんばサッカーにあらず」くらい絶対的なチーム。(少年時代の筆者の中でね)00年代、10年代のバルサみたいな存在ですね。

ただこの頃、前回書いたようにリッピによるユーベの黄金時代が始まり、カペッロ政権の終わりとともにミランは大不振に陥りました。

 

 

 

二年連続の二桁順位からの復活

1996年、カペッロをレアルマドリーに引き抜かれたミランは、ウルグアイ人のオスカル・タバレスを後任に据えます。はい、タバレス。現在に至るまで14年に渡ってウルグアイ代表監督を勤める名将ですが、ミランではまったく結果を残せず解任の憂き目に合います。後任は黄金時代を築いたサッキ。しかしサッキでもチームを浮上させることはできず、結局カペッロが再任。この2シーズンは11位、10位と二年連続で二桁順位に沈んでいます。周りのミラニスタにはこの2シーズンの話を振ってあげましょう。友情にヒビが入ること間違いなしです。

 

ザッケローニの戦術ビアッホッフッ(CVマルカトーレ青島)

続く98-99シーズン、ミランはウディネーゼから監督のザッケローニとエースストライカーのビアホフ(あとヘルベグも)を引き抜き、『3-4-3のCFビアホフめがけてクロスを上げまくる』という、それまでと真逆のスタイルでセリエA優勝を果たしました。このザックミランについては、当時「え?それでいいの?」とすごーく思っていた記憶がありますね。ミラニスタはこの3年間のザック時代をどう思っているのか、一度聞いてみたいなと思ってます。とにかく、‘’戦術ビアホフ‘’はズルかった!

しかし、翌シーズンにこの後長くミランのエースとして活躍するシェフチェンコが加入するも、あの単調なサッカーで当時世界最強と言われたセリエAを続けて勝てるほど甘くはなく。尻窄み的にミランの90年代は幕を閉じました、とこんな感じですかね。

 

このように、1990年代前半はとにかく無敵だったミランですが、後半5年間はなーんかわちゃわちゃしていた、という記憶です。

そうは言ってもスクテッド18回は立派ですし、何と言っても悔しいことに、このミランというクラブはビッグイヤーを7回も掲げているんですね。これはレアルマドリーに次ぐ二番目の多さです。この辺りが、セリエAの戦績ではユーベのほうが圧倒的なのに、なんかミランに対してグヌヌヌヌ…という気持ちになる源泉だと思います。永遠のライバル、ACミラン。だいぶ混乱と迷走が続いている近年ですが、早く復活してもらって共にヨーロッパにおけるカルチョの地位を高めていきたいとそんな風に思っています。

 

 

(おまけ)思い出に残るミランの選手たち

マルセル・デサイー

マルセイユ在籍時にミランをチャンピオンズカップ決勝で破り、そのままミランに引き抜かれました。デカイ、強い。当時の世界最強センターバック。センターバックでもボランチでも超一流でした。

 

デヤン・サビチェヴィッチ

左足の魔術師。ミランの10番っていったらこの人。とにかく上手かった!

 

ズボニミール・ボバン

近代的な10番っていう感じでしたね。ユーベの10番はトレクアルティスタだったりセカンドトップだったり、前寄りなポジションのイメージですけど、ボバンはもうちょっと中盤真ん中でチーム全体をコントロールする選手という印象です。クレバーでした。

 

ジョージ・ウェア

リベリアの怪人。アフリカ出身として初めてのバロンドールを受賞。のちにリベリアの大統領に。とにかく規格外、バケモンですね。

 

(了)

 


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