【You are my HERO GiGi!】ラストダンスは華やかに



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【You are my HERO GiGi!】ラストダンスは華やかに

 

 

パルマにヤバいゴールキーパーがいるぞ。

 

 

 

 

22年前の11月。ボクの耳にそんな噂が届いた。

 

 

しかし、その時は夢にも思わなかった。

 

 

そんな‘’ヤバい‘’奴が、ボクのHEROになるなんてことを……。

 

 

 

 

衝撃のデビュー戦

噂は本当だった。

 

1995年11月19日。カペッロに率いられ、当時「最強」の名を欲しいがままにしていたACミランとの試合にセリエA初先発(初出場)すると、ミランが誇る強力アタッカー陣からのシュートを幾つもストップし、勝ちはしなかったもののクリーンシートの0対0で衝撃的なデビューを果たした。中でもリベリアの怪人ことジョージ・ウェアの至近距離からのシュートを顔面ブロックで止めた事は、いまでも当時のファンの間では語り草である。

 

 

 

ユベントスへの移籍

2000-01後のシーズンオフ。ブッフォンがユベントスの一員となった。しかしそれまでの2シーズン、ユベントスにはオランダ代表のファン・デル・サールがいて、彼がユベントスのゴールマウスを守っていた。そして、ファン・デル・サールは紛れもなく世界最高峰のゴールキーパーでもあった。

 

そんなチーム状況の中で「なぜ、ファン・デル・サールを放出してまで、ブッフォンを獲得するのか」。そんな風に思っていたのを今でも覚えている。確かにファン・デル・サールのユベントスでの2年間は決して順風満帆とは言えなかったが、それでも足元の技術にも優れた現代的な素晴らしいゴールキーパーだった。それなのに70億円もの大金を支払ってまで、新たにゴールキーパーを獲得するのか納得が行かなかった。

しかし、シーズンが進むにつれて、シーズン前に胸につかえていた思いが間違いであった事を、ブッフォンは知らしめてくれた。いや、そんな事を考えていた事すら思い出す事が出来なくなってしまった。ブッフォンに魅了されてしまったのだ。彼は今も昔も「特別」だった。

 

 

 

ユベントスでのキャリア

2001-02シーズンから17年もの間。チームにも、そしてチームメイトにも恵まれたブッフォンは、イタリアNo.1ゴールキーパーから世界No.1ゴールキーパーに成長し、チームの中心選手からチームの象徴となった。そして、デル・ピエーロの後を継いで、キャプテンも任された

 

その17シーズンの間に獲得したタイトルはコッパ・イタリアが4回、イタリア・スーパーカップが5回、そしてスクデットが11回と、実に20ものタイトルをユベントスで手にした。

気付いた方も多いと思うが、この間カルチョスキャンダルの影響によりユベントスは2回スクデットを剥奪されている為に、公式な記録としては2001-2018までの間にユベントスが残したスクデットの数は9回だ。でも、ブッフォンが獲得したスクデットの数は11回だし、ボクの胸の中のスクデットの回数も11回だ。誰が何といおうと11回だ。

 

 

 

セリエB降格

2005-06シーズンを優勝で終えた後、突如としてカルチョスキャンダルが発覚してユベントスはセリエBに降格する事になる。しかしその時、いの一番に「残留」を表明してくれたのがブッフォンだった。当時はすでに‘’世界No.1ゴールキーパー‘’として名を馳せており、ユベントスのセリエB降格を機に国内外のビッグクラブが獲得に名乗りを挙げた。しかし、彼はこの一言で周囲の雑音を一蹴してくれた。

 

 

 

 

『来シーズンはセリエBのタイトルを獲る』

 

 

 

 

 

その瞬間、ブッフォンはボクのアイドルからHEROになった。

 

 

ウルトラマンとスーパーマンと仮面ライダーとジャック・バウワーが寄ってたかってもブッフォンには敵わない。ボクがユベンティーノになってから一番の窮地を救ってくれたのがブッフォンだ。あれ以来、例えテレビの中でもスクリーンの中でも、ブッフォンを超えるHEROは出てこないし、一生出てこないだろう。

 

 

 

再会

約8シーズンの時間、ボクはユベントスから離れていたが、今シーズンからユベントスをまた応援し始めた。そして、ユベントスのゴールマウスは当時と変わらずブッフォンが守っていて、更には左の腕にはデル・ピエーロから受け継いだ腕章が巻かれていた。

しかし、ブッフォンはシーズン開幕前に「ユベントスの一員として、ラストイヤーになるかもしれない」と公言しており、それは今日の記者会見で現実となってしまった。チームはコッパとスクデットの2冠を獲得したが、ブッフォンが強い想いを寄せていたチャンピオンズリーグ優勝は成し遂げる事ができなかった。でも、決勝トーナメント1回戦のトッテナム戦、2回戦のレアル・マドリー戦と、ユベントスは窮地に立たされながらもアウェイの地でユベントスと言う名の意地と誇りを見せ、ユベンティーノを歓喜と感涙に包み込んだ。そして、その中心にはブッフォンがいた。

 

 

 

 

それにしても。

 

 

それにしてもだ。

 

 

レアル・マドリー戦での退場劇がブッフォンにとって、ユベントスのユニフォームをまとってのチャンピオンズリーグラストゲーム、ラストプレーになるなんて、なんともブッフォンらしいと思う。そんな「抜け目のある」ブッフォンをボクは大好きだ。ただ、ボクは分かっている。あの抗議は勝つ為だけではなく、「ユベントスの誇り」を守る為でもあった事を。

 

 

ボクの「ユベンティーノとしての誇り」を守ってくれたこのシーンを、一生忘れないだろう。

 

 

 

ラストダンスは華やかに

 

 

2018年5月17日。その日はやってきた。

 

 

 

ただし「引退」とは口にしなかった。

 

今後の進退に関しては数日の後に公表するらしいが、「退団」である以上、他のチームへの移籍もあると言う事だ。

 

 

 

なんとも。

 

 

なんともブッフォンらしいじゃないか。

 

 

 

あと数日もの間、ブッフォンの去就を予想しながら楽しむことが出来るなんて。

 

 

 

コーチとしてユベントスに残るのか。

 

イタリア代表スタッフとして携わるのか。

 

それとも他のチームに移籍するのか。

 

 

 

楽しませてくれるじゃないか。

 

それでこそ、ボクのHEROだ。

 

 

最後までやっぱりブッフォンはヤバかった。

 

 

 

引退になるなら、あの退場劇がブッフォンの現役ハイライトとなり、語り継がれるであろう。

 

現役続行であれば、まだまだボクたちを魅了してくれるだろう。

 

 

 

どちらにしろ、ブッフォンのラストダンスが「華やか」になる事は間違いない。

 

 

 

 

ありがとう、17年間。

 

 

ありがとう、ブッフォン。

 

 

ありがとう、松野さん。

 

 

 

 

 

 

もう、言葉が見つからない。

 

 

もう、目の前が涙で見えない。

 

 

もう、こんなありきたりの言葉しか思いつかない。

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

 

ありがとう。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

ありがとう My HERO!

 

 

ありがとう ボクたちの HERO!

 

 


(記事終わり)


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