パオロ・モンテーロを知ってるかい?



このところ、「プリマベーラの監督に就任する」と噂されているパオロ・モンテーロ。この話を耳にした超絶マニアックなファンが、歓喜とも悲鳴とも聞こえる声を挙げておりますが、モンテーロがユベントスに所属していたのは1996-2005までと遥か昔の話。

恐らくは「モンテーロって美味しいの?」て方もいるかと思いますので、今日は少しばかりパオロ・モンテーロについてお話させて頂きます。

 

 

パオロ・モンテーロ

「パオロ・モンテーロ」とこ、パオロ・ロナルド・モンテーロ・イグレシアスは、1971年9月3日生まれの現在50歳。国籍はウルグアイで、ポジションはセンターバック。ウルグアイ代表としても、活躍した選手でありました。

 

そしてここからが本題。

プレースタイルは「狡猾」を飛び越えて「規格外」。最近では元レアル・マドリーのセルヒオ・ラモスを指してプレーの荒さを口にする人もいますが、モンテーロについては荒いし、汚いし、そして容赦なし。

「相手を止めるならば何やってもいい」と思っているのか、それとも「汚さと、激しさと、心の強さと」を無駄に信条としているのか分かりませんが、とにかくアタッカーを止める能力はピカイチで、Maji寄りのMajiで思いつく限りの技を駆使して相手をぶっ倒していました。

 

ユベントス在籍当時はまだセリエAが「世界最強リーグ」と謳われていた頃でして、その中でもモンテーロは「最強であり最狂ディフェンダーのひとり」と言われていた程。

荒っぽいプレーと破天荒なキャラクターがフォーカスされがちですが、ぶっちゃけディフェンダーとしての能力はかなり高かった事は間違いありません。

 

 

退場王

当時の月刊ユベントスでは「退場王」と命名しており、月ユベ史上で最も浸透したニックネームのひとつに挙げられます。

その由来となった退場についてはセリエAで16回記録しており、未だにその記録は破られる事なく退場王が守り続けている状況。それはすなわち「いまでもモンテーロは退場王」である事を証明しております。

モンテーロの退場やイエローカードが多いのは間違いないのですが、凄いところは「バリエーションが豊富」だと言う事。

単に相手をぶっ倒す事もあれば、無駄にゴールキーパーにジャンピングニーパッドを喰らわす事もあれば、知らぬ顔してゴールライン上で相手のシュートを手で止める事もあり、退場までのストーリーを振り返ってみると、まさに「多彩」の一言。モンテーロの退場はもはや「芸術の域に達している」と言っても過言ではなかったと思います。

 

笑わずにはいられませんよ。

 

 

エンターテイナー

モンテーロのすごさは退場だけではなく、観客を意識した動きのひとつひとつにも注目が集まりました。

 

  • タッチライン側で嘔吐。からのー、その後に何も無かったかのようにプレー続行。
  • ピッチ内での躊躇ないパンイチ。
  • ディ・ビアッジョに対する迷いのない右フック。

 

などなど多数。

 

中でもディ・ビアッジョに対する強烈な右フックについては「伝説」となっており、ボクシング界を含めてもあれだけキレイな右を顎に入れたアスリートはいないはず。

スピード、タイミング、(審判からの)角度と距離、強度、更には相手選手(ディ・ビアッジョ)が油断した一瞬の隙を逃さない嗅覚、どれをとっても「世界トップクラスの右フック」だったと言えます。

 

  • デル・ピエーロと言えば左45度。
  • ジュニーニョ・ペルナンブカーノと言えばフリーキック。
  • ベッカムと言えば芸術的なクロス。
  • ロベルト・カルロスと言えば悪魔の左足。
  • レオナルド・ボヌッチと言えば家出。

 

これらの選手と同じように、パオロ・モンテーロと言えば右フック。

まさに「後世に語り継がれるべく、記憶に残る一振りだった」と言えるのではないでしょうか。

 

 

まとめ

と言う事で、その退場王がユベントスに復帰します。

これまで母国ウルグアイを始め、アルゼンチンやセリエCのチームでの指導経験はありますが、はっきし言って退場王に指導者としての資質があるとは思えません。いや、間違いなく無いでしょうし、むしろ「まずは自分自身を指導すべき」。

それでもオールド・ユベンティーニが退場王の名前を耳にして熱くなるのは、やはり「当時から見せていた戦う姿勢をチームに植え付けてくれるんじゃないか」と言う期待があるからに違いありません。

 

 

まだ正式に発表はされてないけど、とにかく熱いぜ!熱いぜ退場王!

 

 

King will be back soon!

 

 

Forza 退場王!