【コラム】ユベントス`90s (written by タカオ店長)

今回は「月ユベ執筆チーム」からタカオ店長さんの登場です。味があり、かつ軽快な記事をお楽しみ下さい!

 


ユベントス`90s

ユベントスについて何か書いてみませんか?

そんなお誘いをいただいたのですが、大した知識もあるわけではなし。うまい文章が掛けるわけでもなし。皆さんの箸休め程度になればとかるーくニワカ目線でやってみます。宜しければお付き合いください。

 

 

Part1.1990年代のセリエAとユベントス

さて、何を書こう。戦術とか無理だしそんな深いことも知らないし。そーだ、あの頃の世界最強リーグと呼ばれていた頃のセリエAを思い出しながら、また自分も改めて当時のことを学びながら、よりユベントスを一緒に知っていこう。まずは当時のイタリアサッカーとユベントスの立ち位置を確認することから始めましょう。

 

1990-1994二度のUEFAカップ優勝とバロンドール

1990年。イタリアワールドカップの年です。NHKで夢中で観ましたよね。カメルーンの衝撃。そして何故か決勝のゲスト解説が世界のホームラン王、王貞治でした。
さてユーベはというと、1990年当時は就任二年目のディノ・ゾフ監督の元でUEFAカップとコパ・イタリアの二冠で幕を開けているんですね。ブッフォンが現れるまで、サッカー史上最高のゴールキーパーとの呼び声も高かったディノ・ゾフ。監督在任は2シーズンだけでしたが、きちんと結果も残しているんですね。後にアッズーリではバッジョ頼みのくそつまんないサッカーやって全盛期真っ只中のデルピエロを代表で全く活かすことができませんでしたけど。

今でも許してねーからな!

 

そしてマイフレディ監督の1シーズンを挟んで就任したのは、ミスター・カテナチオ?イタリアサッカー史上屈指の名将ジョバンニ・トラパットーニ監督。これが二度目のユベントス監督就任なのですが、元はと言えば1976年から1986年まで長期政権を築き上げ、就任していきなりのUEFAカップ戴冠。そしてなんといっても84-85シーズンのチャンピオンズカップ戴冠とトヨタカップ優勝でユーベを初の世界一に導いた伝説の人です。そのトラパットーニ監督の元で通算三度目のUEFAカップ優勝。
1976年!筆者は1977年生なので、生まれる前からこの人はユーベの監督なんですね。もちろん、記憶は一切ありません。イメージはバイエルン・ミュンヘンの監督とあの2002ワールカップのときのグダグダだったアッズーリの監督だったことくらいですね。

 

そしてこの1990年から1993年のエースは伝説のファンタジスタ、ロベルト・バッジョ。フィオレンティーナとの確執は元々はこの人を強引に引き抜いたせいらしいのですが、1993年のバロンドールとFIFA世界年間最高選手をダブル受賞するまさにイタリアの顔。当時のプレーを観る術は中学生の私にはなかったので、今改めてJuventus TVでバッジョのプレー集を観てみましたが、圧巻ですね。圧倒的な存在感、華麗なテクニックと力強さ。デルピエロとの違いはその力強さかな?という印象です。

 

当時のUEFAカップの試合を実際観られないかと探してみたら、Juventus TVに準々決勝ベンフィカ戦がありました。

スタメンがスゴいです。コーラーとかメラーとかがいます。(二人とも現役バリバリのドイツ代表。当時、ドイツ代表選手がブンデスリーガ以外のトップリーグでプレーするのはクリンスマンやマテウスを含めて数人しかいなかった)。そして、なんと言ってもヴィアリに髪の毛があります。パウロソウザは当時対戦相手のベンフィカの選手です。ルイコスタやジョアン・ピントもいますね。この試合、とにかく目立ってるのはパウロソウザですね。まさに神出鬼没。対してロベルト・バッジョですが、ほぼ消えてますね。そう、そういう選手でした。90分のうち2分間くらいのインパクトが半端ないんですよね。当時の空気感はよく伝わる試合でした。ユーベもかなりスーパーなチームですけど、この当時はもっとスーパーなチームがいたんですよね…。

 

と、一応の結果と呼ぶには華々し過ぎる結果を残してはいた1990-1994ですが、時代はまさにミラン黄金時代ど真ん中。スクテッドには一度も手が届かず、またニュースバリュー的にも日本まで届くほどのインパクトは見られませんでした。

 

 

1994-1998黄金の葉巻時代

1994年7月、マルチェロ・リッピ監督の就任とともにユベントスの黄金時代は始まる。
94-95シーズンはアメリカワールカップを満身創痍で戦ったロベルト・バッジョのコンディションが思わしくない中、前年に加入したデルピエロが頭角を現し始める。この年のフィオレンティーナ戦で生まれた背後からのロングボールをダイレクトでしかもアウトサイドで叩き込んだ有名なゴールをはじめとしてファンタジスタとして名を売り始め、チームは9シーズンぶりのスクテッド獲得。そしてコパ・イタリアも制し二冠を達成し、クラブはバッジョの放出に踏みきることになった。

 

翌95-96シーズン。スクテッドはバッジョの移籍したミランに奪われたもののセリエAでは2位。そしてなんと言っても11年ぶりにCL制覇を果たす。デルピエロはこの年から10番を背負いチャンピオンズリーグで6得点を挙げ、エースとしての役割を果たした。

 

この年はなんと言ってもアレですね、セリエAダイジェストの放映開始!地上派のテレビで毎週セリエAの結果を映像つき、解説つきで放送してくれるという神番組があったんですよ!マルカトーレ青嶋!この番組のおかげで一気にユベントスもセリエAも身近な存在になりましたね。まあ、カズがジェノアに入団したおかげですけど。それもあってか、このシーズンのチームは個人的に今でも五本の指に入るくらい好きなチームです。CL決勝も地上派で放送されたし。海外サッカーを観るという行為が一気にハードル下がった時代でした。

 

見てくださいこのメンバー、垂涎モノですね。この当時ペルッツィは世界最高と言っても過言ではないGKでしたし、フェッラーラとヴィエルコウッドといういぶし銀×いぶし銀のCBコンビ。両サイドバックは武闘派でデシャン、コンテ、ソウザという派手さとは無縁の中盤。なんとユベントスらしいスカッドでしょうか!そしてヴィアリ、ラヴァネッリという泥臭さ満点のFWに最後ショートケーキのイチゴのように添えられたデルピエロですよ!これでスターにならないわけがない!翌シーズンや翌々シーズンの方がチームとしては強かった(世界最強だったと思う)けど、この11人の濃い魅力。たまりませんね!

 

世界一そしてセリエA連覇

ボスマン判決の影響でキャプテンのヴィアリと銀狼ラヴァネッリが共にイングランドへ移籍した96-97シーズン最初のハイライトは12月の東京、国立競技場。トヨタカップですね。アルゼンチンのリバープレートとの世界一決定戦は、デルピエロゾーンからの振り向きざまのシュートで先制したユベントスが1-0で勝利。1985年以来二度目のクラブ世界一の称号を手にしました。デルピエロのゴールは同じ国立競技場で生まれたプラティニの幻のゴール(オフサイド判定でノーゴール)と並んで未だに目に焼きついて離れない名場面です。

 

二度目の世界一を勝ち取りそのままスクテッドを二年続けて勝ち取ったこのチームは、当時世界最強リーグと呼ばれていたセリエAでも抜きん出た強さでしたし、お世辞抜きで世界最強だったと思います。ジダン、インザーギ、ダービッツ…当時世界最高のタレントが集まるのがセリエAでありユベントスであったという時代です。

 

ただ、この96-97と97-98シーズンは二年続けてチャンピオンズリーグ決勝でドルトムントとレアル・マドリーに破れるという残念な結果に終わり、その後萎んでいくようにリッピ政権は終わりを迎えました。
それでも四年間で三度のスクテッド、そして三年連続のチャンピオンズリーグファイナリストであり世界チャンピオンにも輝く。今でもユベンティーニの尊敬を集めるのも解りますね。

 

 

1998-2000混迷と再生の時代へ

リッピ監督のこのシーズン限りでの退任を公然の噂として誰もが知りながら迎えた98-99シーズン。開幕戦はあの中田英寿、衝撃のペルージャデビュー戦ということもあり、日本人の記憶にも残るところですね。シーズン序盤はそれなりに順調に勝ち点を重ねていましたが、ゼーマンによるドーピング発言からチームを取り巻く空気が不穏なものになりました。そして、11月。悪夢のウディネーゼ戦。あの試合のあの怪我がなければ、デルピエロのキャリアはまったく違ったものになっていたでしょう。それは即ちユベントスの歴史も変わっていたことを意味しますが。

このバンディエラの長期離脱をきっかけにチームは勝ち点に見離されはじめ、またリッピ監督の退任の噂は日に日に大きくなり、彼の責任を求める声も日増しに増え続け、ついに1999年2月、リッピ監督は半ば逆ギレ気味の会見を残しそのままクラブを去りました。これが黄金時代の幕切れだったなと今にしてみると思います。
後任は既に99-00シーズンからの就任が公然の秘密となっていたカルロ・アンチェロッティ。チームをなんとか立て直し、CLではベスト4へと導いたものの、リーグ戦は6位におわりそのチャンピオンズリーグへの出場権を逃してしまいました。

 

1990年代もいよいよラスト、99-00シーズン、ユーベは地味だった。いや、こう言っちゃうと語弊がありそうだけど、このシーズンのユーベはホントに地味だった。序盤から中盤戦にかけてはセブンシスターズ(ユーベ、インテル、ミラン、ローマ、ラツィオ、パルマ、フィオレンティーナ)のよる団子状態だったが、年末辺りからユーベとラツィオが抜け出す。地味だ地味だと言いながらも自力を見せつけ、ジワジワと独創態勢を築いていったユーベだが、終盤戦に息切れ。残り2節で2ポイント差まで詰め寄られる。それでも疑惑のゴール事件でパルマを下し、スクテッドに王手をかけたユーベ。誰もがユーベの優勝を疑わなかったが、最終節ペルージャにまさかの敗戦を喫し、1ポイント差でラツィオの逆転優勝を許してしまう。

と、駆け足で振り返ってみました。1990年代のユベントス。セリエAで優勝が3回、2位が4回と安定して強かった時代という印象ですが、細かく触れてみると色々あった激動の10年間だったことがわかります。
次回があるなら、ユベントスを取り巻くライバルチームなどにも触れて、より多角的に当時のユーベを丸裸にしてみたいなと思いつつ、この辺りで〆とさせていただきます。それでは、また!

 

(了)


【written by タカオ店長】

1990年代半ばからのユベンティーノ。永遠のニワカを自称し、多岐に渡り知識を持ち合わせるが、その中でもひとつ頭が出ているのはユベントスについて。職業柄、夜21時は深夜扱いになり、就寝する事が多い生活を送る。

noteでもコラムを執筆中(今回は転載させて頂きました)。