【編集長ブログ】平成と令和と情熱のあいだに

【編集長ブログ】平成と令和と情熱のあいだに

元号が『平成』から『令和』に変わろうとしていて、そしてそれはカルチョの世界には全く関係ないのだけれど、それでも振り返ってみたら1996-97から始まったボクのユベンティーニ歴は全て『平成の時代』だった。

そんなボクの平成の思い出を少しだけ振り返ってみたいと思う。確かにイタリアに日本の元号は関係ないけれど、いいじゃないか、日本人なんだからそんな風に思い返す機会があったとしても。

 

 

ロナウド加入

2018-19シーズン開幕前。希代のスーパー・スターがトリノに到着した。

「クリスティアーノ・ロナウド」

ボクがこれまでユベントスを見てきた中でも間違いなく一番大きな移籍だったし、間違いなく歴代ナンバーワンのスーパー・スターがユベントスに加入した。そして何よりも忘れないのは、ロナウドの加入が発表された際、Twitterで『ドキドキが止まらない』と興奮ながらに呟いていた人がいた事だ。いままで出て行く選手を嘆く事はあっても、加入する選手に対してそんな事はなかった。果たしてロナウドはユベントス加入後、アトレティコ戦のハットトリックに代表されるように幾度となくゴールを決め、ユベントスの一員となり、そしてユベンティーニの心を掴んだ。

名前は忘れてしまったけれど、あの時ドキドキが止まらなかった方は、今でもロナウドがボールを持つたびにドキドキが止まっていない事だろう。

 

 

雨のレナート・クーリ

1999-2000シーズン。首位を走っていたユベントスが迎えた最終節の相手はペルージャで、舞台はペルージャのホームであるレナート・クーリ。この試合で勝ち点1を積み上げれば2シーズン振りのスクデットが決まるユベントスであったが、開催さえも危ぶまれた大雨の中で試合を行い、0-1で敗れてラツィオに優勝を譲る事になった。

この日はちょうど結婚式の翌日に当たっていて、それこそ新婚旅行でイタリアに向かう事になっていた。しかし、残念ながら到着した時にはすでに試合が終わるフライトとなっていた為に、恐る恐るタクシーの運転手さんに「ユベントス対ペルージャの結果を知っているか?」と聞いて、そして「Juventus lost」との返事が返ってきて愕然とした事を今でも覚えている。

いま「雨のレナート・クーリ」と検索しても情報は出てこない。確かに100年以上続くユベントスの歴史においてたったひとつの敗戦に過ぎないが、それでもボクの中では忘れたくても忘れる事のできない敗戦だ。

 

 

ドルトムントに1対3

マルチェロ・リッピの下、1995-96に続きチャンピオンズ・リーグ連覇を狙った1996-97シーズン決勝。圧倒的な強さを誇り決勝に駒を進めたユベントスの対戦相手はドルトムント。このシーズンから熱を入れてユベントスを応援していたボクは、ユベントスの強さに、そしてリッピの動じない姿に全幅の信頼を寄せてこの試合を見ていた。しかし「ユベントス優位」の前評判もあり、ユベントスの優勝を疑わなかったボクの前に立ちはだかったのはリードレでありリッケンだった。

家族が誰も起きていない深夜のリビング。2点のビハインドを負った中で後半19分にデル・ピエーロが決めたヒールシュート。あの瞬間に「やっぱりボクのユベントスが負ける訳がない」と思った事を覚えている。しかし、わずかその6分後に決められたリッケンのループシュートはそれ以上に鮮明にボクの脳裏に焼き付いている。

「ユベントスでも負ける事があるんだ」

あの時の感情はいまだに忘れる事ができない。

 

 

デル・ピエーロ

例え1996-97シーズンのチャンピオンズ・リーグ決勝でドルトムントを破っていたとしても、デル・ピエーロがいなければボクはユベンティーノにならなかったであろうし、少なくともユベンティーニを続けてはこれなかっただろう。それくらい、ボクのユベントスの歴史はデル・ピエーロに通ずる。

ジダンがいてブッフォンがいてネドヴェドがいて、そして怪物ロナウドがいてトッティがいてリッピがいてカペッロがいて、彼のサッカー人生は全てにおいて鮮やかだったとは言い難いが、それでもユベンティーニはもちろんの事、ユベントスファン以外でさえもデル・ピエーロのプレーに魅了された人は少なくないはずだ。

ひとそれぞれにユベントスの思い出があり、背番号10に思い入れがあるとは思うが、ボクの中でのユベントスはデル・ピエーロであり、背番号10はデル・ピエーロであり、そして唯一無二のファンタジスタはデル・ピエーロである。

 

ただひとつだけ、彼がユベントスを去る際に見送る事ができなかったのが、いまだに心残りだ。

 

 

セリエB降格

2005-06シーズンを2連覇で終えた後、突如持ち上がったユベントスの審判買収疑惑。『疑惑』のままチームは制裁措置としてセリエBに降格され、そして何人もの選手がチームを去って行った。しかし、ブッフォン、デル・ピエーロ、ネドヴェド、トレセゲ、カモラネージ、サライエタと言った各国を代表する選手がチームに残ってくれ、そしてチームは『勝ち点マイナス9からのスタート』と言う大きなビハインドを跳ね除け、1シーズンでセリエA復帰を成し遂げた。

わずか1シーズンの時間ではあったものの、ボクが今までユベントスを応援してきた中で一番忘れる事のできない、いや「忘れたくない」出来事だ。それは決して『セリエBに降格したこと』ではなく、『チームに残ってくれた選手がいたこと』を指している。監督を引き受けてくれたデシャンを始め先に挙げた選手たちは、間違いなく『各国を代表する選手』であると同時に、ファンの中で『ユベントスの歴史を代表する選手』になったに違いない。

確かにチャンピオンズ・リーグ優勝もユベントスの歴史であり、国内リーグ8連覇もユベントスを代表する記録である。しかし、もしボクがひとつだけ『平成』で思い出を挙げるとするならば、この時に一緒に戦った仲間の存在だろう。次に我々が迎える『令和』の時代に、このような事が起こらない事を願うが、ただしもし起こってしまったとしても、ユベントスの誇りを胸に秘めた選手たちが助けてくれると信じている。

 

 

最後に

時代は移り変わり、当時デル・ピエーロが背負っていた背番号10はテベスからポグバに、そしてディバラへと受け継がれていった。セリエBに降格し、昇格してもなかなか浮上する事の出来なかったイタリアの貴婦人は、セリエAを8連覇するまでのチームに復活を遂げた。イタリアに元号はないけれど、それでも日本人である以上、変わりゆく元号にあやかって思い出のページを捲って(めくって)見るのも悪くないな、とこの記事を書きながら感じている。

 

一時間、一日、一週間、一ヵ月、一年と言った括りがあるように、『時』を刻む単位があるからこそ、その箱の中に思い出が詰まって行くものだ。

 

長い年月をかけて、『平成』の想い出は溢れんばかりに詰め込むことが出来た。

次に迎える『令和』と言う時代の箱に、ボクたちはどれだけの情熱を注ぐことが出来るだろうか。