【編集長ブログ】背番号は無機質なのだろうか

【編集長ブログ】背番号は無機質なのだろうか

 

「背番号は特別なのか」

 

ここ数日、Twitterのタイムラインがこんな趣旨の呟きで賑わっている。

 

結論から言えば

 

 

「背番号は無機質」

 

 

これがボクの答えだ。

 

 

しかし、それと同時に

 

 

「背番号には意思がある」

 

 

とも思っている。

 

 

背番号には「選手の見分けを付ける」と言う事以外に意味を持たず、選手がプレーをする上で「背番号が付いたユニフォームを着用する事」がルール上で義務付けされている。ただそれだけのものだ。そしてその背番号はチームが長年続く限り、選手の入れ替えによって付け替えられ、決して個人の所有物にはならない。そう言う観点から見れば、やはり「無機質」と言う表現で間違いないと思う。

しかし、チームが長年続いていく上でそこに歴史があり履歴が存在し、選手に対する思い出と思い入れが生れてくる。サポーターはまずは選手に思いを寄せ、追ってその選手の付けている背番号に愛着が沸いてくる。そして、その選手と背番号が特別なものになる。

 

そうだ、背番号は「チーム」にとって特別なものになるのではなく、「サポーター(応援する個人)」にとって特別なものになるのであろう。すなわち、背番号自体は無機質ではあるものの、時間を刻み選手と背番号がセットになり意思のあるものになっていくのだ。だから、サポーターによっては無機質であるだろうし、サポーターによっては意味のあるものになる。結局のところ結論がなく、ともすれば「論ずる必要がない題材」と言う事ではないかと思う。

 

あるひとにとっては「背番号は上書き保存するもの」であり、あるひとにとっては「背番号は名前を付けて保存するもの」なのである。自分の思い出なのだから、上書き保存しようが名前を付けて保存しようが保存する側の勝手だろう。

 

 

確かに背番号を語るのは楽しい。でも、他の人の意見を批判すると全く面白くないし、それこそ批判すること自体に意味をなさないと思っている。

 

どうせなら、「背番号に関する自分のとっておきの思い出を披露する方が、何倍も楽しいのではないか」とボクは思っているのだが。